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エホバの証人二世の、個人研究&趣味blogです。
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11:09:16
[記事の主題] 見かけで判断しないようにしましょう

[主題の聖句] 「うわべを見て裁くのをやめ、義にかなった裁きで裁きなさい」。ヨハネ 7:24

歌: 129、125

次の聖句からどんなことを学べますか
使徒 10:34、35
レビ記 19:15
テモテ第一 4:12

[1節の質問] イザヤはイエスについてどんなことを預言しましたか。その預言が励みになるのはなぜですか。
[1節] イエス・キリストに関するイザヤの預言を読むと、温かい気持ちになります。こうあります。「[イエス]は目で見る単なる外見によって裁くのでも、ただ耳で聞くことにしたがって戒めるのでもない。……立場の低い者たちを必ず義をもって裁[く]」。(イザヤ 11:3、4)とても励みになる預言です。今の世の中は偏見で満ちているからです。わたしたちは皆、完全な裁き主であるイエスの裁きを待ち望んでいます。イエスは、わたしたちを見かけで裁くことは決してありません。

[2節の質問] イエスはどんな命令を与えましたか。この記事ではどんなことを考えますか。
[2節] わたしたちもある意味で毎日、人を裁いています。つまり、その人がどんな人かを判断しています。しかし、イエスとは異なり不完全なので、完璧な判断は下せません。見えるものに影響されることがあります。それでイエスは、「うわべを見て裁くのをやめ、義にかなった裁きで裁きなさい」と命じました。(ヨハネ 7:24)イエスは、わたしたちが人を見かけで判断することを望んでいません。では、どんなものに影響されないようにすべきでしょうか。この記事では、人種や民族、お金や物、年齢という3つの点を取り上げ、どのようにイエスの命令に従えるかを考えます。

[副見出し] 人種や民族

[3、4節の質問] (イ)ペテロが異邦人に対する見方を変えたのはなぜですか。(冒頭の挿絵を参照。)(ロ)エホバは、ペテロがどんな真理を理解できるよう助けましたか。
[3節] ペテロは、カエサレアの異邦人コルネリオの家に呼ばれた時、いろいろなことを考えたでしょう。(使徒 10:17‐29)ユダヤ人のペテロは、異邦人が汚れていると教えられてきました。でも、幾つかの出来事を経験し、考え方を変えました。例えば、奇跡的な幻を見ました。(使徒 10:9‐16)どんな幻でしょうか。多くの汚れた動物が入った、布のような器が天から下りてきました。そして次の命令が聞こえます。「立ちなさい、ペテロ、ほふって食べなさい!」 ペテロがはっきり断わると、天の声は、「神が清めたものを汚れていると呼んではならない」と言いました。ペテロは幻を見た後、あの言葉は一体どういう意味だろう、と考えます。その時、コルネリオの使者たちがやって来ます。ペテロは神の指示を受け、彼らと一緒にコルネリオの家に向かいます。
[4節] ペテロが人を見かけだけで判断していたら、コルネリオの家に入らなかったことでしょう。ユダヤ人は異邦人の家に決して入らなかったからです。ペテロもかつてそのような根深い偏見を抱いていました。ではコルネリオの家に入ったのはなぜですか。奇跡的な幻を見、神の指示を受けたからです。コルネリオの話を聞いたペテロは心を打たれ、こう述べました。「わたしは、神が不公平な方ではなく、どの国民でも、神を恐れ、義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」。(使徒 10:34、35)ペテロはこの真理を理解し、感動したことでしょう。この真理はすべてのクリスチャンにどんな影響を与えるでしょうか。

[5節の質問] (イ)エホバはすべてのクリスチャンにどんなことを教えておられますか。(ロ)クリスチャンであっても、どんな見方を持っている場合がありますか。
[5節] エホバはペテロを通して、ご自分が不公平ではないことをすべてのクリスチャンに教えました。エホバにとって、人種、民族、国、部族、言語の違いは重要ではありません。神を恐れ、正しいことを行なう人は皆、神に受け入れられます。(ガラテア 3:26‐28。啓示 7:9、10)あなたもそのことを知っているでしょう。でも、強い偏見を持つ国や家庭で育った場合はどうでしょうか。自分は公平だと思っていても、心のどこかに偏見が残っているかもしれません。エホバが公平であることを人々に知らせたペテロでさえ、後に偏見を示してしまいました。(ガラテア 2:11‐14)どうすればイエスの教えに従い、人を見かけで判断しないようにできるでしょうか。

[6節の質問] (イ)心の中から偏見を取り除くうえで、どんなことが役立ちますか。(ロ)ある兄弟の報告からどんなことが分かりますか。
[6節] 自分の考えや感情を聖書に照らして注意深く調べ、偏見を抱いていないか確かめましょう。(詩編 119:105)兄弟姉妹の助けも必要かもしれません。偏見が深く染みついていて、自分では気づかないことがあるからです。(ガラテア 2:11、14)1つの例を考えましょう。大きな責任を持つある兄弟は、忠実に全時間奉仕をしている夫婦について支部事務所に報告しました。夫は、人々から見下げられている少数民族の出身でした。報告した兄弟は、自分がその民族に偏見を抱いていることに気づいていなかったようです。報告の中で兄弟の良い点を数多く挙げましたが、結論でこう書いています。「兄弟は[国名]の出身ですが、良いマナーを示し、きちんとした生活を送っています。[民族名]族には不潔でだらしない生活をしている人が多いですが、この兄弟は違います」。報告した兄弟が偏見を持っていたことは明らかです。どんなに大きな責任を担っていても、自分を注意深く調べ、進んで助けを受け入れる必要があります。そうすれば、心のどこかに偏見が残っていることに気づくかもしれません。

[7節の質問] どのように心を開くことができますか。
[7節] 心を開けば、偏見はなくなり、愛が育ちます。(コリント第二 6:11‐13)あなたは、自分と同じ人種、民族、国、部族、言語の人たちとばかり親しくしていますか。もしそうなら、心を大きく開きましょう。自分とは異なる背景の人と野外宣教を行なうのはいかがですか。そのような人を家に招いて、食事や交友を楽しむこともできます。(使徒 16:14、15)心に愛が満ちあふれ、偏見はなくなることでしょう。

[副見出し] お金や物

[8節の質問] レビ記 19章15節によると、お金や物は他の人に対する見方にどんな影響を与えますか。
[8節] お金や物についても考えましょう。レビ記 19章15節にはこう述べられています。「あなたは立場の低い者[または、貧しい人]に不公平な扱いをしてはならない。大いなる者[または、裕福な人]を優遇してもならない。公正をもってあなたの仲間を裁くべきである」。お金や物は他の人に対する見方に影響を与えることがあります。

[9節の質問] ソロモンはどんな悲しい現実について述べましたか。何を学べますか。
[9節] ソロモンは聖霊の導きを受け、不完全な人間の悲しい現実についてこう述べました。「資力の乏しい者はその仲間の者にとってさえ憎しみの的となる。しかし、富んだ者の友は多い」。(箴言 14:20)何を学べますか。注意していないと、裕福な兄弟とは友達になるものの、貧しい兄弟は避けようとするかもしれない、ということです。お金や物だけで人の価値を判断するのは非常に危険です。なぜでしょうか。

[10節の質問] 1世紀の会衆でどんな問題が生じていましたか。
[10節] 会衆に階級差別が生じかねないからです。弟子ヤコブによると、1世紀の幾つかの会衆ではそのような問題が生じ、会衆が分裂していました。(ヤコブ 2:1‐4を読む。)人の価値はお金や物で決まるという考え方を会衆に持ち込むべきではありません。どうすればそのような考え方を避けられるでしょうか。
[挿入聖句] ヤコブ 2:1‐4 わたしの兄弟たち、人を偏り見るあなた方は、わたしたちの栄光である、わたしたちの主イエス・キリストの信仰を保っていないではありませんか。というのは、指に金の指輪を幾つもはめ、きらびやかな衣服を着た人があなた方の集まりに入って来るとします。また、汚れた衣服を着た貧しい人が入って来ます。ところが、あなた方はきらびやかな衣服を身に着けている人に好意を示して、「あなたはここの良い場所に席をお取りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい」とか、「そこのわたしの足台の下の席に着きなさい」と言います。これではあなた方は、自分たちの間に階級差別を設け、よこしまな決定を下す裁き人になっていることになります。そうではないでしょうか。[挿入聖句、終わり]

[11節の質問] エホバとの関係の強さは、裕福か貧しいかによって決まりますか。説明してください。
[11節] エホバの見方に倣う必要があります。エホバは、人の価値をお金や物で判断されません。エホバとの関係の強さは、裕福か貧しいかによって決まるわけではありません。イエスは「富んだ人が天の王国に入るのは難しい」と述べました。しかし、不可能だとは言いませんでした。(マタイ 19:23)また、「貧しい人たちは幸いです。神の王国はあなた方のものだからです」とも述べました。(ルカ 6:20)しかし、貧しい人がみな特別な祝福を受けたわけではありません。実際、多くの貧しい人はイエスの教えに従いませんでした。要するに、エホバとの関係はお金や物に依存していないのです。

[12節の質問] 聖書は、裕福な人や貧しい人にどんなことを教えていますか。
[12節] 今日、裕福か貧しいかにかかわりなく、多くの兄弟姉妹が心からエホバを愛し、神に仕えています。聖書は裕福な人たちに、「不確かな富にではなく……神に希望を託すよう」勧めています。(テモテ第一 6:17‐19を読む。)また、裕福な人にも貧しい人にも、お金を愛してはならないと教えています。(テモテ第一 6:9、10)わたしたちは、エホバがご覧になるような仕方で兄弟姉妹を見る必要があります。お金や物で人の価値を判断しないようにしましょう。
[挿入聖句] テモテ第一 6:17‐19 今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく、また、不確かな富にではなく、わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように。そして、善を行ない、りっぱな業に富み、惜しみなく施し、進んで分け合い、自分のため、将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え、こうして真の命をしっかりとらえるようにと。[挿入聖句、終わり]

[副見出し] 年齢

[13節の質問] 聖書は年長の人に敬意を示すことについて、どんなことを教えていますか。
[13節] 聖書は、年長の人にふさわしい敬意を示すよう繰り返し教えています。レビ記 19章32節にはこうあります。「あなたは白髪の前では立ち上がるべきである。また、老人の身を思いやり、あなたの神に恐れを持たねばならない」。箴言 16章31節にも、「白髪は、義の道に見いだされるとき、美の冠である」と述べられています。パウロはテモテに、年長の兄弟を厳しく批判するのではなく、父親のように見るよう勧めました。(テモテ第一 5:1、2)テモテは年長の兄弟たちに対してある程度の権威を持っていましたが、思いやりと敬意を示さなければなりませんでした。

[14節の質問] 自分より年長の人であっても、どんな時には助言や矯正を与えるべきですか。
[14節] とはいえ、間違った敬意を示してはなりません。例えば、年長の人が故意に罪を犯したり、エホバに喜ばれない事柄を支持したりするなら、どうしますか。“敬意”を示して容認しますか。エホバは、故意に罪を犯す人が年長だからといって大目に見ることはされません。イザヤ 65章20節にはこうあります。「罪人については、その者が百歳であっても、その身の上に災いを呼び求められる」。エゼキエルの幻からも同じ原則を学べます。(エゼキエル 9:5‐7)最も大切なのは、日を経た方エホバをいつも敬うことです。(ダニエル 7:9、10、13、14)エホバを敬う人は、たとえ相手が年長であっても、必要な時には恐れずに助言を与えます。(ガラテア 6:1)

[15節の質問] パウロに倣い、若い兄弟たちをどう見るべきですか。
[15節] 会衆の若い兄弟たちをどう見るべきですか。パウロは若いテモテに次のように書きました。「あなたの若さをだれにも見下げられることのないようにしなさい。かえって、語ることにも、行状にも、愛にも、信仰にも、貞潔さにも、忠実な者たちの手本となりなさい」。(テモテ第一 4:12)テモテはこの手紙を受け取った時、30代前半だったようです。それでも、パウロから重い責任をゆだねられていました。パウロのアドバイスからどんなことを学べますか。若い兄弟を年齢だけで判断してはならない、ということです。イエスが宣教の務めを果たしたのも、30代前半の時でした。

[12ページの図版]
若い兄弟に敬意を示していますか。(15節を参照。)

[16、17節の質問] (イ)長老たちは、ある兄弟を奉仕の僕や長老に推薦する際、何を規準にすべきですか。(ロ)文化や個人的な意見が聖書の規準に反する場合がありますか。例を挙げてください。
[16節] 若い人を見下げる文化圏もあります。そのような国の長老たちは、若い兄弟を奉仕の僕や長老として推薦することをためらうかもしれません。しかし、聖書は奉仕の僕や長老に推薦するための最低年齢を定めていません。(テモテ第一 3:1‐10、12、13。テトス 1:5‐9)長老が文化に基づいて規則を設けるなら、聖書に従っていないことになります。若い兄弟を推薦するかどうかを決める際には、文化や個人的な意見ではなく、聖書の規準に基づいて判断すべきです。(テモテ第二 3:16、17)
[17節] 長老たちが文化の影響を受けて、聖書的な資格にかなった兄弟を奉仕の僕や長老に推薦しないことがあります。ある国の若い奉仕の僕は様々な責任を果たしていました。長老たちは、この兄弟が長老の資格を道理にかなった程度満たしていると考えました。でも、兄弟は推薦されませんでした。年長の長老たち数名が、見た目が若すぎると主張したためです。これは1つの例にすぎませんが、こうしたことは様々な国で見られるようです。文化や個人的な意見にではなく、聖書に従うことは本当に大切です。人を見かけで判断するなら、イエスに従っていないことになります。

[副見出し] 義の規準に従って裁く

[18、19節の質問] どうすればエホバの見方に倣えますか。
[18節] わたしたちは不完全ですが、エホバの公平な見方に倣うことができます。(使徒 10:34、35)もちろん、そのためには継続的な努力が必要です。聖書の助言をいつも当てはめなければなりません。イエスの命令に従い、人を見かけで判断しないよう努力し続けましょう。(ヨハネ 7:24)
[19節] 王イエス・キリストは間もなく全人類を裁きます。見える事柄や聞いた事柄によって裁くのではなく、義の規準に従って裁かれます。(イザヤ 11:3、4)何と素晴らしいことでしょう。

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